中国世界遺産巡り60 北京中軸線:中華の理想的秩序を示す建造物群
中国語・中国文化

こんにちは、北京語言大学東京校です。
今回は北京の世界遺産、北京中軸線:中華の理想的秩序を示す建造物群についてご紹介します。
700年をかけた中軸線
そもそも北京の成り立ちは13世紀、元の皇帝フビライ・ハンが都と定め、宮殿を中心に前庭後市、そして左祖右社(左に祖先をまつり、右に社稷を奉じる)に設計されたことに端を発します。この年デザインは自然と調和しつつ皇帝の権威を反映したものであり、フビライ・ハン権力の象徴となりました。その後、明の初代皇帝である朱元璋が紫禁城(故宮)、天壇や地壇を、清では頤和園や円明園が建設されました。このことによって自然要素が都市構造の中に組み込まれ、皇帝の権威と自然の力が融合した景観が作り上げられていったのです。清朝の終焉後、皇帝のための建物や空間が一般に開放されました。
中軸線の意味
それではなぜ歴代皇帝はこの中軸線に沿って増築していったのでしょうか。北京は儀式と政治が一体となった都市空間を形成していました。紫禁城は皇帝の居住地であり、政治の中心地であった一方、天壇や地壇は皇帝が農耕の神々に祈る儀式を行うための場所でした。その儀式は歴代皇帝にとってはとても重要で、中国の皇帝制の権威、歴代王朝の正当性を示す、「その座に就くことで皇帝と名乗ることを許される」、といった意味合いがあったのです。そしてそれは同時に、中軸線をもうけることでここが中国全土の中心地、帝王のいる中心地であると強調したのです。
中軸線が表す、中国の歴史と未来
古代から現代に至るまでの北京の都市発展を目の当たりにし、現代化の波にさらされましたが、北京政府は中軸線の保存に力を注ぎ、伝統的な都市計画と文化的価値は今も維持されています。近年では、北側に新たに中軸線が延長され、北京オリンピックの会場となった通称「鳥の巣」国家スタジアムが建設され、そして南には新国際空港が建設されました。今でもなお変化し発展する、中国の社会的・政治的変革を反映する重要な文化的景観となっています。
この記事は北京の世界遺産、北京中軸線:中華の理想的秩序を示す建造物群についてのご紹介でした。
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