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中国世界遺産巡り4 頤和園

中国文化


こんにちは、北京語言大学東京校です。
今回は北京近郊にある世界遺産、頤和園についてご紹介します。


母の還暦祝いに
1750 年、清朝第6 代皇帝の乾隆帝が母の還暦を祝うために造った「清漪園」がその起源です。その後、アロー戦争の時に英仏連合軍に壊されましたが、1888 年、第11 代皇帝の光緒帝(西太后の妹の子供)の時代に、西太后の隠居用の庭園として再建され、「頤和園」と名づけられました。



清の滅亡を早めた再建
敷地面積は2.97 ㎢(東京ドーム63.5 個分)、宮殿や庭園は3000 余りですが、広大な庭園の建造が清朝最盛期の財政を揺るがすことはありませんでした。一方、西太后は、欧米列強の侵略が進むなか、再建のために軍事費を流用しました。これが清の滅亡を早めたとも言われています。



犯人は誰?
失敗に終わった「戊戌の変法」と呼ばれる急進的な改革運動を全面的に支持していた光緒帝は、西太后によって頤和園に監禁され、1908 年に死去します。約100 年後の調査で、頭髪や衣服からヒ素が検出され、光緖帝は毒殺されたと結論付けられました。しかし、犯人は不明のままです。見事な景色を楽しみながら、名探偵になったつもりで推理してみるのも面白いかもしれません。



この記事は北京にある世界遺産、頤和園についてのご紹介でした。

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